【コラム】AIは未だ知能に至らず?
AIは未だ知能に至らず?
髙木 亮 氏 Ryo Takagi
Marunouchi AI Club Executive Secretary
AIという言葉が日本のお茶の間を賑わすようになってもう久しくなります。海外から日本のニュースを読むと、ほぼ毎日AIに関する情報がジャンルを問わず見受けられ、その注目度の高さがうかがえます。半面、そういったニュースを眺めていると、日本の皆さんにとってAIとは何かというぼんやりとした疑問や、AIがこのままバズワード化してしまうのではないかという不安がどうしても心に浮かんでしまいます。
では、海外ではAIの定義は既に確立されたものであるかと言えばそういうわけでもなく、AIという大きなくくりで語るメディアには今なお多少の疑問を含んだ視線を感じる今日この頃でもあります。しかしながら、欧米のメディアにおいてはAI論はある程度の潮流のようなものも見え始めているのも事実です。
昨今のアメリカにおけるAIですが、その理解が2つの大きな潮流に分離しつつあるように見受けられます。一つは、先日のAI Summitにて大量に発表されていたような、学習結果の分析をするサービスであり、もう一つは完全自動運転のような、学習結果を判別しさらに自動的に処理するといった、より複雑なサービスです。
そして、AIに関する議論として顕著な、できる・できない論は主に後者についてであり、前者に関してはもはやあって然るべきサービスという感じで、場合によっては、AIと語れるかどうかすら疑われるほどです。以前はすべてのサービスをひとくくりにして、AIに仕事を任せられるかどうかが語られていましたが、それほど前者が一般的になりつつあるのでしょう。この分野のAIマーケットはどんどん大きくなり、それにつれて仕事のしかたも変わってくると思います。
この、より単純なサービスがAIとして広く受け入れられている事実には色々理由があると思いますが、高いパフォーマンスと多方面にわたる複雑なインタラクションを語らずにサービスを語れない後者のAIと異なり、よりシンプルかつ直感的で、学習結果をある程度条件分岐の作りこみで活用可能な前者のサービスが現場で受け入れられやすいということはあると思います。こちらはどちらかというと分析サービスであり、データマイニングやBIの延長線にあるものとしても捉えやすいため、知識のあるエンジニアが使ってみたという事実も多いかと思います。現場において人手=コストのかかるサービスがAIによって自動化されたということになれば、もっと色々なところで使いたいということになり、お客様の要求に応えるべくよりよいサービスが提供されるという良い土壌が産まれていると感じます。
筆者はこの2つの違いを知識と知恵の違いに言い換えることができると考えています。ひとくくりにAIと言っても色々あり、その中でも過去事例からパターンを予測する能力(知識)を有するAIと異なり、学習結果を既にある社会秩序に合わせ適切に処理する能力(知恵)を有するAIはやはり投資規模、求められる結果共に格が違います。格が違うだけに実装にはまだまだ時間がかかるでしょうが、基礎的なアルゴリズムやサービスが充実することでいずれ実現する時は来ると筆者は考えています。しかし、それであっても大多数の日本人がAIと聞いて思い浮かぶような、知性を伴った汎用的な知能を提供するサービスはまだまだ先の話でしょう。ドラえもんは22世紀に製造された工業製品ですが、今までの実装チャートから予測するにそのリリース時期は比較的現実的なタイムラインかもしれません。
豊富な学習データを持ち、疲れ知らずのAIと言っても今はまだまだ赤ちゃんです。できることは限られますし、自動運転もまだまだです。そんなAIがたくさんの知識を活用する知恵を持ち、いずれ我々が想像するAIが産まれることを期待しましょう。ホップ、ステップ、ジャンプのように、AIが今のメインストリームである知識のサービスから知恵のサービスへと進化し、それらを統合した本格的な知能のサービスへと羽ばたくことを考えれば、AIのゴールは遠くとも、チャレンジするに値する分野であることは間違いないと筆者は考えています。